「死にたい」を言語化しませんか 〜欲求以上感情未満〜
こんにちは。ソビ・エトです。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
っていう言葉良いですよね。正月のだらけた自分が引き締まる感じがして。
「死にたい」が口癖でした
物心ついた時からわりと最近まで。受験戦争に負ける、挨拶を忘れる、中二病ムーブのあとなど、ことあるごとに心の中で呟いていました。ブツブツといつまでも。
思うにこれは恥とか怒りとか、いろんな感情がろ過された上で何度もつぶやいていました。
過去の失敗を思い出して「死にたい」とつぶやくことも何度もありました。
負の感情の貯金だけしていたような。
気づく
あれ?
なんで「死にたい」ってつぶやいてんだろう?
この「死にたい」はどんな「死にたい」だったっけ?
いつの間にか「死にたい」と呟きすぎて、中身と原因がわからなくなっていました。
言語化して分類しませんか
それで、この「死にたい」は「セックスしたい」とか。「恋愛したい」とか。
あの「死にたい」は「お金欲しい」だとか言語化して分類していくうちに気が楽になっていって。
そこから自分の行動を変えていったり。そんなライフハックの提案です。
漠然とした欲求のくすぶりとかイライラが形を成すことで僕はものすごく楽になったし、気持ち良かったです。思春期のモヤモヤには特に聞くと思っています。
ムラムラしたら、「セックスしたい」。財布を見てため息をついたら、「お金欲しい」。
欲求以上の何かを感情未満に昇華しませんか。
感情未満の何かを力に変えて
言語化した感情未満の何かは行動させる強烈な動機になり得ます。
「セックスしたい」なら自分磨きと情報収集。
「お金欲しい」ならお金を得る方法を調べて実践とか。
欲求と感情は上手く利用するもの。利用されるものじゃない。
そんなエントリーでしたとさ。