青空とゴルゴンゾーラ

虚無が何かになるためのブログ

闘争を選んだら気が楽になった

最近、大学の課題をやってて気付いたことがあります。

 

闘争を選ぶと、不思議と気が楽になるってことです。

 

狩りの時間だ、ウォウウォウウォウ。

 

 

筆者のバックボーン

私はメンタルが弱い人間です。逃げてばかりの人生でした。

自分自身から逃げていました。勉強から逃げ、恋愛から逃げ、身だしなみから逃げ、逃げて逃げて逃げて。

いつも楽に生きることを目指してきたし、初めはより良い人生を送るために逃走を選んでいたのに、いつの間にか逃走そのものが目的になってしまっていました。

 

大学受験に失敗し、浪人をさせてもらったにもかかわらず、ろくに勉強もせず、毎日ダラダラ過ごしていました。それで、今Fラン大学にいます。

 

そして今、そこそこの大学で意識高い系としてそこそこ勉強やってて、闘争を何度も選んで、不思議と気が楽になっている気がします。心理学系の学部じゃないので、書いていることは無知な人間の生み出す虚無だと思ってください。

 

気が楽になる理由の考察

第一に、闘争は良い結果をもたらすことがほとんどです。戦えば何かしら得られる。その学習が気を楽にしているんじゃないかと。課題や仕事はだるい、辛い。本質がだるい。でも、現代の狩り(闘争)って勉強と仕事じゃないですか。これを認識して、狩りを行うようになってから、狩りのプロセスに喜びを感じられるようになりました。都合よく結果が出ているのは私がまだ学生だからなのでしょうけど。

 

加えて、逃走って良い結果をあまり産まないじゃないですか。その代わり、一時的にすごく心地よいんですけど。だから、逃走の結果として適切な休息が行えるならそれで良いんじゃないかと思うんです。それか別の闘争に向かうとか。逃走も必要不可欠。

 

結論

結論としてこの記事で言いたいのは狩りをすると決めたら気が楽になったってことです。成績っていう獲物はなんだかんだ美味しい。私もそうですが、成功体験の乏しい人にとっては特に。

 

今日も勉強じゃなくて、狩りをしてきます。