青空とゴルゴンゾーラ

虚無が何かになるためのブログ

「死にたい」を言語化しませんか  〜欲求以上感情未満〜

こんにちは。ソビ・エトです。

 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

っていう言葉良いですよね。正月のだらけた自分が引き締まる感じがして。

 

 

 

「死にたい」が口癖でした

物心ついた時からわりと最近まで。受験戦争に負ける、挨拶を忘れる、中二病ムーブのあとなど、ことあるごとに心の中で呟いていました。ブツブツといつまでも。

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思うにこれは恥とか怒りとか、いろんな感情がろ過された上で何度もつぶやいていました。

 

過去の失敗を思い出して「死にたい」とつぶやくことも何度もありました。

負の感情の貯金だけしていたような。

 

気づく

あれ?

 

なんで「死にたい」ってつぶやいてんだろう?

 

この「死にたい」はどんな「死にたい」だったっけ?

 

いつの間にか「死にたい」と呟きすぎて、中身と原因がわからなくなっていました。

 

 

言語化して分類しませんか

それで、この「死にたい」は「セックスしたい」とか。「恋愛したい」とか。

あの「死にたい」は「お金欲しい」だとか言語化して分類していくうちに気が楽になっていって。

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そこから自分の行動を変えていったり。そんなライフハックの提案です。

 

漠然とした欲求のくすぶりとかイライラが形を成すことで僕はものすごく楽になったし、気持ち良かったです。思春期のモヤモヤには特に聞くと思っています。

 

ムラムラしたら、「セックスしたい」。財布を見てため息をついたら、「お金欲しい」。

 

欲求以上の何かを感情未満に昇華しませんか。

 

 

感情未満の何かを力に変えて

言語化した感情未満の何かは行動させる強烈な動機になり得ます。

 

「セックスしたい」なら自分磨きと情報収集。

「お金欲しい」ならお金を得る方法を調べて実践とか。

 

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欲求と感情は上手く利用するもの。利用されるものじゃない。

 そんなエントリーでしたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ…恋がしたい。恋がしたいな……」 童貞のぼやきと最終兵器彼女

 タイトルは漫画「最終兵器彼女」より。ドライアイで涙は出ないけど、心で泣きました。いつかこの漫画を読んで涙を流したいなあ。

 

 こんにちは。ソビ・エトです。

 

 

最終兵器彼女(1) (ビッグコミックス)
 

 

恋愛がしたい

お互いに愛し合い、思いやる、幸せな恋愛がしたい。

 

二人でささやかなことに喜怒哀楽して、二人で幸せになりたい。

 

愛情と唾液と体液を交換して。

 

トロけあいたい。

 

気持ち良くさせたいし、気持ち良くなりたい。

 

無条件の肯定と承認を交換したい。

 

ああ…恋がしたい。恋がしたいな……

 

 

気づいたら、恋愛市場から取り残されていた

 アリガチ・ムーブですが、中学生の頃は高校生になったら彼女が出来る、高校生の頃は大学生になったら彼女ができると思っていました。そして、大学生になってしばらくして気づく。そんなこと無かった。白馬の王子様は現れない。

 

 そんな甘い考えだったので、外見に一切気を使いませんでした。いざ恋愛をしようと思って、鏡を見たらそこには大きな借金があった。

 

 やるしかない。少しずつでも変わっていこう。あとは上げるだけ。あとは上がるだけじゃなくて。

 

性欲やそのものが目的の「恋」は「恋愛」じゃないと思っていた

 僕は純愛信者でした。恋愛という概念を知った時から、それはなんだか素敵なもので、尊いサムシングだと思ってきました。だから、性欲や恋に恋するのは邪道でカジュアルな「恋」でしかなく、崇高な「恋愛」ではないという根拠のない確信を持っていました。

 

 こうなったのは最初に触れた「恋愛」の概念が白雪姫をはじめとした童話だったからじゃないかと。美しくてステレオタイプなおとぎ話。思い込みの激しい僕は純愛にあらずんば「恋愛」にあらずと思い込みました。

 

その認識を変えたのが最終兵器彼女でした。

以下あらすじ

ぎこちなくも清純な交際をしている高校生、シュウジとちせ。札幌が突然の空爆に襲われたある日、シュウジは思いも寄らない姿に変身していたちせに出会った。背中から羽が生え、空をマッハ2の速度で飛び、とてつもなく破壊能力を持つ、自衛隊によって改造された“最終兵器”。それがちせだった。地球のあちこちで紛争が起こるたびに呼び出され現場へ向っていくちせと、彼女を見守ることしかできないシュウジ。ふたりの未来はいったい…!?

 

 この漫画ではいろんな恋愛に関するメッセージが含まれています。その一つが「生きるために恋愛したっていいじゃない」です。このアポカリプスな世界で二人は存在を確かにするために恋愛します。(マイ解釈。議論しましょう。)他にも不倫等が出てきます。(テツ先輩とちせのエピソード良いですよ。)

 

 純愛信者の僕は衝撃を受けました。(この作品純愛要素けっこう強いですが)価値観がひっくり返ったような。その時に純愛至上主義から解放されたように思います。

 

 童貞で性欲が満たされていないのも勿論ありますが。

 

 いろんな恋愛がある。「恋」でも「恋愛」でも。性欲目的でも良いし、恋に恋していい。純愛は今でも好みですけど。

 

最終兵器彼女は純愛至上主義の僕に対する最終兵器でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が許せない

自分が許せない。

 

もしあなたが今メガネを使用していて、今後コンタクトの使用を考えているなら、ドライアイには気をつけた方が良いです。

 

 大学入って、人生で初めて身だしなみに気をつけ始めました。

 

「鏡よ鏡、世界で一番醜いのはだ〜れ?」

「あなたです。」

あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )

 

みたいなことを毎朝繰り返しています。

 

 

身だしなみなんてどうでも良いと思っていた小中高

 小学校はまだ分かるじゃないですか。毎日遊ぶことばかり考えていた。

中学校も一応。ここら辺からスクールカーストが顕著になるんですけど。

高校は高校受験で親と深刻な喧嘩をし、心に傷を負い、漫然と漫然と、過ごしていました。

 

気づいたら、肌と目が大惨事

 スキンケアと日焼け止めもしなかった肌は荒れに荒れ、毛穴は開き、恋愛市場での価値をかなり下げてしまいました。ニキビ跡もまあまあ残っています。クレーター以外のニキビは適切なスキンケアでどうにかなるのですが、ケアのためのお金は必要だし、クレーターは皮膚移植などの特殊な治療をしないと一生残ります。ちくしょう。

 

 加えてショックだったのが、重度のドライアイ。これによって、コンタクトが出来ない。ドライアイだとコンタクトが出来ない理由は、コンタクトの運用方法にあります。

涙は、デリケートな眼球を守っていて、ドライアイによって様々な苦しみが生まれます。そして、コンタクトは瞳の上の涙のプール(層)の上に乗っかっています。この涙が少ないと、コンタクトが目に張り付いたり、外れることが起きます。

 

 僕の顔はメガネを外し、肌荒れとニキビ跡を除けばそこそこハンサムです(イキリオタク)。男女数十人からの他己評価なので、そう間違っていないはず。それで、この前コンタクトを試してみたい + ドライアイだろうなと思って眼科に行くと予想通りドライアイ。涙ひとつ満足に流せない男。悲しくても全然涙が出ない。

 

ドライアイ対策(外部サイト)

日本眼科学会

 

タケダ

 

 

 

 

 

 

 

闘争を選んだら気が楽になった

最近、大学の課題をやってて気付いたことがあります。

 

闘争を選ぶと、不思議と気が楽になるってことです。

 

狩りの時間だ、ウォウウォウウォウ。

 

 

筆者のバックボーン

私はメンタルが弱い人間です。逃げてばかりの人生でした。

自分自身から逃げていました。勉強から逃げ、恋愛から逃げ、身だしなみから逃げ、逃げて逃げて逃げて。

いつも楽に生きることを目指してきたし、初めはより良い人生を送るために逃走を選んでいたのに、いつの間にか逃走そのものが目的になってしまっていました。

 

大学受験に失敗し、浪人をさせてもらったにもかかわらず、ろくに勉強もせず、毎日ダラダラ過ごしていました。それで、今Fラン大学にいます。

 

そして今、そこそこの大学で意識高い系としてそこそこ勉強やってて、闘争を何度も選んで、不思議と気が楽になっている気がします。心理学系の学部じゃないので、書いていることは無知な人間の生み出す虚無だと思ってください。

 

気が楽になる理由の考察

第一に、闘争は良い結果をもたらすことがほとんどです。戦えば何かしら得られる。その学習が気を楽にしているんじゃないかと。課題や仕事はだるい、辛い。本質がだるい。でも、現代の狩り(闘争)って勉強と仕事じゃないですか。これを認識して、狩りを行うようになってから、狩りのプロセスに喜びを感じられるようになりました。都合よく結果が出ているのは私がまだ学生だからなのでしょうけど。

 

加えて、逃走って良い結果をあまり産まないじゃないですか。その代わり、一時的にすごく心地よいんですけど。だから、逃走の結果として適切な休息が行えるならそれで良いんじゃないかと思うんです。それか別の闘争に向かうとか。逃走も必要不可欠。

 

結論

結論としてこの記事で言いたいのは狩りをすると決めたら気が楽になったってことです。成績っていう獲物はなんだかんだ美味しい。私もそうですが、成功体験の乏しい人にとっては特に。

 

今日も勉強じゃなくて、狩りをしてきます。